北海道新聞を購読していた理由

ポエム北海道新聞,道新

かつて、自分は北海道新聞を定期購読していた。2012年から2019年ぐらいまでずっととっていた、いや、少なくとも読んでいた。

なんで北海道新聞なのかというとシンプルな理由は2つ。

北海道新聞を取った理由

  1. 地元のローカルニュースが見たかったから。
  2. 自分とは違う考え方を持つ記事を見るべきだと思ったから。

1つ目の「地元のローカルニュースが見たかったから」は単純で、やはり自分が住んでいる地域のニュースを知るためであれば、地元のブロック紙が良いだろうと考えたからである。

実際のところ、地元北海道のニュースに道新は強い。というか、基本的にそればっかりである。北海道だけで関東やら中部地方ぐらい大きいので、それはそう、という感じでもあるが。


2つ目の「自分とは違う考え方を持つ記事を見るべきだと思ったから」はちょっとややこしい。大雑把に言えば北海道新聞の傾向はいわゆる「左寄り」だ。「反体制」という言い方でもよいと思う。

それに対して自分は多分「体制寄り」だ。社会体制がなければ、豊かな社会生活を送ることは難しいし、惑星科学の研究が進められることは、安定した社会体制があるからだと考えている。その意味では、現在ある体制の中でうまいことやってやろうという思想が強い。

それ故に「反体制」的である北海道新聞を読むことは意義深いと考えていた。「いやいや、何いってんだこれは」と突っ込みながらでも、自分とは違う意見、考え方はどのような声を元に構成されているのかを知ることは重要だと思う。

しかし、あまりにも乱暴な展開の内容なので意見を送ったことがある。朝刊の一面にあるコラム「卓上四季」についてだ。

当時、道新の読者アンケートがあって、紙面に対する意見を書く欄があった。そこに「いつも卓上四季のコラム欄を見ているが、読み始めは故事成語などの紹介なのに、途中から急に現政権がどーだこーだと脈絡のない批判へ接続するのは大変不満である」と書いて出した。

一回出して特に変化なく、次にアンケートの機会があったときにもう一度同じようなことを指摘したら、その後はそういった内容のコラムは減ったような気がする。単に担当者が変わったりしただけなのかもしれないが。

こういった無理やりなところはともかく、自分とは異なる見解を持つメディアに触れるというのは、自分自身の考え方が凝り固まらないためにも重要であろうと思う。今後もそういった情報を嫌うことなく、きちんと向き合うようにしたいところである。


ちなみに今、2020年現在では道新を購読していない。それは別に嫌になったわけではなく、新しい住居の都合上ちょっと面倒になってしまったからに過ぎない。

今の家は共同玄関がオートロックなために、新聞配達が玄関扉までこないのでちょっとめんどくさい気分になったからというのが大きい。