「となりのトトロ」に北大恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」が出てくる話
スタジオジブリ制作、宮崎駿監督の長編アニメーション映画「となりのトトロ」を知らない人はほとんどいないことでしょう。草壁家の 2 人姉妹「サツキ」と「メイ」がお父さんと田舎に引っ越してきて、不思議な生き物「トトロ」と出会うお話です。
この有名な作品の登場人物「サツキとメイのお父さん」が日本三大寮歌とも言われる北海道大学恵迪寮の明治 45 年寮歌「都ぞ弥生」を歌っているシーンがあることを紹介します。
小説「となりのトトロ」
アニメーション作品として有名な本作ですが、小説版も存在します。小説版も原作は「宮崎駿」で、文章は「久保つぎこ」によって書かれています。以下のような目次で構成されています。
- 新しい古いおうち
- お化けやしき?
- お母さん
- メイ、トトロに会う
- 雨の日
- 稲荷前
- トトロのくれたもの
- 夏休み
- 迷子のメイ
- ありがとう、トトロ
基本的なストーリー展開はアニメと同じですが、小説版ではところどころ表現が増えています。例えばアニメ作品では飄々とした雰囲気でしかなかったお父さんが、小説版では家族で一緒に暮らせると思って田舎に引っ越してきて本当よかったのか、実は都会の実家の方が健康によいのではないかと不安に感じている心理描写が表現[1]小説版「となりのトトロ」 48刷 56 ページ。されたりしています。また小説版では「8. 夏休み」として、サツキとメイが田舎の松之郷に引っ越す前に住んでいた東京の家に戻って過ごすストーリーが追加されており、田舎の生活とのギャップに悩むサツキの様子などが表現されています。
そんな小説版では「お母さんのお見舞いから帰ってくるシーン」において草壁家のお父さんである「草壁タツオ」が都ぞ弥生を歌っている場面があります。
みやこぞやよいのくもむらさきに……
アニメと同様に、ススワタリが出てくるような田舎の「お化けやしき」に引っ越してきた草壁一家は、引っ越し翌日に七国山病院に入院しているお母さんのお見舞いに自転車で向かいます。
お見舞いの後、お父さんと二人の姉妹が自転車で病院から帰るシーンにおいて、アニメ版と小説版では演出が異なります。アニメでは次のようなやりとりがありました。
サツキ「お母さん元気そうだったね。」
お父さん「ああ、そうだね。先生ももう少しで退院できるだろうって言ってたよ。」
メイ「もう少しって、明日?」
サツキ「またメイの『明日?』が始まった!」
お父さん「明日はちょっと無理だなあ。」
スタジオジブリ制作、1988 年、劇場版「となりのトトロ」より
小説版では次のように表現されています[2] 小説版「となりのトトロ」48刷 88 ページ。 。
帰り道、三人は歌をうたった。
おそくとも、秋には母さんは退院する、もしかしたらもっと早く家に帰れるかもしれない。先生がそうおっしゃったのだから、たしかなことだと、父さんから病室できいたのだ。みやこぞやよいのくもむらさきに
はなのかただようゆうげのむしろ父さんは父さんの歌をうたい、
しろやぎさんからおてがみついた
くろやぎさんたらよまずにたべた子どもたちは子どもの歌をうたった。
原作 宮崎駿、文 久保つぎこ、1988 年、小説「となりのトトロ」より
メイがはりきってかなきり声でさけぶ。
「メイ、おてがみたべないよ、お母さんのおてがみ! メイ、くろやぎさんじゃないもん。(後略)
「父さんは父さんの歌をうたい」という形で「都ぞ弥生」を歌っている様子が表現されています。原作の歌詞「都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂う宴遊(うたげ)の筵」とは微妙に歌詞が異なる部分(うたげ → ゆうげ)がありますが、間違いなく「都ぞ弥生」を歌っているといって差し支えないでしょう。
なお、「みやこぞやよいのくもむらさきに……」と書いてあるページには端に「©日本音楽著作権協会(出)許諾第8762399-701号」と記載があります。実際のところ都ぞ弥生は JASRAC に登録されており[3]「都ぞ弥生」自体は 2009 年時点で歌詞、曲それぞれの著作者は死後 50 年以上経過しています。そのため 2021 … Continue reading、小説で使用するにあたり許諾を受けていることからも JASRAC 登録曲である「都ぞ弥生」を意識的に使用しているであろうことが読み取れます[4]許諾番号からどの曲に対する許諾を得ているのかは判断はできません。。
となりのトトロのお父さん「草壁タツオ」は北大出身?
恵迪寮の明治 45 年寮歌「都ぞ弥生」は明治 40 年から令和になってもなお新作が毎年作られている寮歌の一つでありながら、北海道大学を代表する学生歌としてよく知られています。少なくとも北大生なら誰しもが耳にしたことがあるし、寮生でなくとも数多くの学生が歌えることでしょう。
それでは、この歌を口ずさむ「草壁タツオ」は北大出身なのでしょうか。
草壁タツオが北大にいたとすると、少し不思議な点があります。となりのトトロの時代設定は昭和 30 年ごろとされています。また劇中当時、草壁タツオの年齢は 32 歳とされています[5]年齢の情報はウェブ上にたくさんありますが、私は原典にあたれていません。どうも「ジブリ … Continue reading。そのため彼は昭和 20 年前後、戦後ぐらいに大学に在籍していたことになるでしょう。
小説の中でも触れられているように、草壁タツオは考古学を専攻しています。しかし北海道帝国大学に考古学が学べるような「法文学部」が設立されたのは昭和 22 年のことです[6]沿革 – 北海道大学 大学院文学研究院・文学研究科・文学部[7]その後、昭和 25 年に「文学部」と「法経学部」に分離しています。。年齢から逆算して 18 歳で入学したとすれば、昭和 20 年より前に入学したことになり、まだ北大に「法文学部」設立前なので専攻することができません。
このことから草壁タツオは北大ではない大学で考古学を専攻し、北大の寮歌を口ずさんだだけという可能性も考えられます。「都ぞ弥生」は日本三大寮歌と言われる程度にはよく知られているため、北大ではない学生が口ずさむことがあってもそこまで違和感はありません。サツキとメイのお母さんである「草壁靖子」とは学生結婚をしており、草壁靖子の実家は東京にあることから東京大学にいたと考えることもできますが、はっきりとはわかりません。
もちろん作品の時代設定も昭和 30 年頃とされているものの、はっきりと決まっているわけではありません。あまり年代について考えずに「草壁タツオは北大生だったんだ」という素直な話もありえるかもしれません。
恵迪寮の寮歌について
「都ぞ弥生」は北海道大学の校歌のごとく扱われる[8]本当の校歌は有島武郎が作詞した「永遠の幸(とこしへのさち)」です。ことも多い寮歌ですが、これは恵迪寮の第 6 番目の寮歌です。
恵迪寮では明治 40 年からほぼ毎年、寮生による寮歌の新作が続いており、令和 3 年、2021 年現在では 100 を超える歌が歌い継がれています。となりのトトロのお父さんも口ずさんだ「都ぞ弥生」をはじめとした「恵迪寮寮歌」はスマホアプリ「北海道大学恵迪寮寮歌アプリ」(Android 版; iOS 版)で見られるので、ぜひご利用ください。
小説「となりのトトロ」について
記事冒頭でも紹介しましたが、アニメにはないシーンや登場人物の心理描写などが描かれていて、アニメを知っている人でも楽しめることができる作品だと思います。
アニメ版で小学 6 年生のサツキは小説ではアニメ制作初期の設定のとおり小学 4 年生となっているところが違う他、小学生なりに妹や父の心配をしている様子などが細かく表現されています。他にも同級生のカンタがサツキや家族に抱く複雑な感情や、お母さんの実家である「寺島家」の様子など、キャラクターとしてのトトロだけではなく、人間関係にも焦点が当たっているところも印象的でした。
宮崎駿が書いた挿絵なども雰囲気があります。Amazon などでも入手できますので、購入をお勧めします。
恵迪寮の話
恵迪寮は寮歌を始めとして様々な文化があります。記事「北大恵迪寮入寮パンフから抜き出した寮生用語集(2010年~2017年)」もご覧ください。
脚注
↑1 | 小説版「となりのトトロ」 48刷 56 ページ。 |
---|---|
↑2 | 小説版「となりのトトロ」48刷 88 ページ。 |
↑3 | 「都ぞ弥生」自体は 2009 年時点で歌詞、曲それぞれの著作者は死後 50 年以上経過しています。そのため 2021 年現在はパブリックドメインになっており、JASRAC の許諾は必要なくなっています。 |
↑4 | 許諾番号からどの曲に対する許諾を得ているのかは判断はできません。 |
↑5 | 年齢の情報はウェブ上にたくさんありますが、私は原典にあたれていません。どうも「ジブリ ロマンアルバムエクストラ(69)となりのトトロ」の設定説明に記述があるようです。 |
↑6 | 沿革 – 北海道大学 大学院文学研究院・文学研究科・文学部 |
↑7 | その後、昭和 25 年に「文学部」と「法経学部」に分離しています。 |
↑8 | 本当の校歌は有島武郎が作詞した「永遠の幸(とこしへのさち)」です。 |
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません